story
011
[大分県 別府市]
cotake
しなやかで丈夫な
「別府 竹細工」に魅せられて。
繊細でしなやかで、それでいてとても丈夫な「別府 竹細工」。花籠や壁掛けなどアート性の高い工芸品から、ざるや耳かきといった日用品に至るまで、さまざまな竹細工があるが、どれも職人によって一つひとつ手作りされている。どんな想いを込めて作っているのか。大分県別府市で生まれ育ち、料理人から竹工芸士の道へ進んださとうみきこさんの工房兼店舗〈cotake〉を訪ねた。
わざわざ買いに来て欲しいから
JR別府駅から徒歩10分の住宅街。言われなければ、ここが竹工芸の工房兼店舗とは気づかない場所に〈cotake〉はある。「もともとこの土地を持っていたというのもありますけど、ふらっと立ち寄るのではなくて、わざわざ来て欲しかったからこの場所を選びました」とさとうさん。製作に集中できる環境でありながら、竹工芸品を“わざわざ”買い求めにくる客と向き合うことができる、ちょうどいい場所なのだろう。
〈cotake〉には、さとうさんの作品以外にも15人ほどの作品が並ぶ。同じ幅の竹ひごで隙間なく織物のように編む「網代編み」が得意な人もいれば、編み目が八角形に見える「八つ目編み」を得意とする人もいる。白く晒した竹で作った「白物」を好む人もいれば、編んだ後に染色をする「黒物」を好む人もいる。「一人のラインナップだけでは成り立たないので、いろいろな個性を持つ職人さんの作品を扱っています」とさとうさんは言う。
個人的に目を引いたのは、さとうさんがつくったピアスやイヤリングなどのアクセサリー。例えば〈浮き雲〉と名付けられたピアスは、まるで知恵の輪のように複雑に竹が絡み合っているデザイン。「これ、実は竹でできているんですよ」と自慢したくなるほどに凝っている。シンプルながら存在感のある〈縷縷〉は、時間と共に竹素材が飴色に変化していくという。ちょっと大人な楽しみ方ができるピアスだ。
- <縷縷>細く絶えずに続くさまを表現しています。
<縷縷>細く絶えずに続くさまを表現しています。
- <赤心>竹の持つ自然な風合いが、心地よいアクセントを添えてくれます。
<赤心>竹の持つ自然な風合いが、
心地よいアクセントを添えてくれます。
実際に製作の様子も少し見せてもらった。パキ、パキ、パキ。小刀を使って竹を半分に割り、その半分になった竹をまた半分に割り……さとうさんは手際良く竹を荒割りしていく。ある程度の数が揃ったら、次はその荒割りした竹を薄く剥いでいく。こちらも見ていて気持ちいいぐらいにテキパキと作業をしていくさとうさんだが、「ひごとり3年」と言われるほどに熟練の技が求められるらしい。竹ひごができあがったら、底から胴、首、縁と順番に編んでいき、染色をしたり、塗装をかけたりして作品を作っていく。中には数十万円する竹かごもあるが、この熟練した技と工数の多さ、そして作品の耐久性を鑑みると、妥当な金額だと思えた。
料理人から竹工芸士へ転身
実家が温泉旅館を営んでいたこともあり、竹で編んだ花籠に花をいけるなど、幼少の頃から竹細工は身近にあったという。ただ「別府が竹細工で有名なことは知っていましたけど、特別な思いを持っていたわけではなかったんですよね」。
さとうさんは料理人として家業を手伝っていた。観光客から別府の観光地を尋ねられると、竹細工伝統産業会館の名前を挙げていたが、正直なところ、行ったことがなかった。「行ったことがないのに、おすすめスポットとして挙げるのが気が引けて、一度は行っておこうかと思って。そうしたら、不覚にも感動しちゃったんですよね。木工品では出せない曲線美が本当に美しくて……自分の中の竹細工や竹工芸のイメージがガラッと変わったんです」。
別府竹細工の歴史は古く、景行天皇(1世紀頃に存在した第12代天皇)が九州熊襲征伐の帰途で別府に立ち寄った際、食事担当の従事が良質な竹をたくさん発見して茶碗かごを作ったことが始まりと言い伝えられているそう。室町時代には行商に使うかごが生産・販売され、江戸時代には全国各地からの湯治客が滞在中に使用するかごやざるなど、竹で作った生活用品の販売が盛んになり、竹細工は産業として定着。
昭和30年代に入ると、安価なプラスチック製品の登場で、産業は打撃を受けた。ただ、日用生活用品とは一線を画す高級竹製品へと転換をはかり、1967年には生野祥雲斎が竹工芸の分野で初の人間国宝に認定され、1979年には当時の通産省から「伝統的工芸品」の指定を受けるまでになった。
料理は形が残らないけれど、竹工芸ならばずっと作品が残る。自分も竹工芸をやってみたいーー。そんな憧れと「自分ならできる」という直感を感じたさとうさんは、手始めに伝統産業会館が開催している教室に1年間通い、竹を割ることから始めた。「友人に竹工芸の話をすると、『何やっているの?』と大爆笑されたんですよ。それが悔しかった。ああ、別府の人にとって、竹工芸はこの程度の認識なんだなと思って」。負けず嫌いなさとうさん。その翌年には日本で唯一の竹工芸の職業能力開発校である大分県立竹工芸訓練支援センターに入校し、竹工芸士への道を本格的に目指す。「母には猛反対されました。“竹細工職人は食えない”というイメージがあったのでしょうね。訓練校なので多少のお金が出るから、などと説得して入校しました。」
朝8時30分から夕方4時まで、週5日。1年目は8つの課題制作を通じて竹細工の技法を学び、2年目は作品のオリジナリティを磨く実習に加えて、会計経理やマーケティングといった職人として独立するためのスキルを学ぶ日々。「子ども2人を育てながらでしたし、土日に特別授業が入ることもありましたし、日々が分刻みで全然休む暇はなかったですね。本当に大変な日々でした。会社員の夫の協力や応援があって乗り越えられたと思います。たくさん迷惑をかけました」とさとうさんは振り返る。
県内外から集まった同期の存在が励みになった。「私の場合は料理でしたが、グラフィックデザイナーや美術の先生、建築家といった多様なバックグラウンドを持った人たちが集まっていました。面白いもので、それまでの経験値が職人の個性として生きてくるんですよね。同期が何か賞を受賞したり、素敵な作品を作ったりしているのを見ると、私も頑張らないといけないなと気合いが入ります。」
一から了の中に竹を
取り入れて欲しいという
願いを込めて
竹工芸訓練支援センターを卒業し、2019年に〈cotake〉を開業。テレビの情報番組で取り上げられるなど、注目度も上がり「あのとき大爆笑していた友人も、猛反対していた母も、すっかり私の活動を喜んでくれていますよ」とさとうさん。〈cotake〉の名前の由来は「子という漢字は、一から了という漢字からできています。一(始め)から了(終わり)まで、一生という意味なんですね。日本の伝統工芸である竹を、一から了の中に少しでも取り入れて欲しいと思ったんです」という。
今後の展望を尋ねると、さとうさんは「私、夢がもう叶ってしまったんですよね。だからこの〈cotake〉ができる限り長く続くといいなと今は思っています」。そう笑顔で言って、また竹と向き合っていた。
取材・文:五月女菜穂
撮影:コバヤシ
Information
名称/cotake(子竹)
住所/大分県別府市弓ヶ浜町2-28
電話/0977-51-4396
営業時間/10:00〜17:00
定休日/日曜日(臨時休業あり)
URL/http://www.cotake-beppu.com