story
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[神奈川県 鎌倉市]
鎌倉 波平
ぷりぷりの「柚子生しらす」
店主の知見の結晶が、新名物を生んだ
「お客さんの笑顔が見たくて」
が、店主の想い
「いつかは自分の飲食店を」と夢見ていた波木井宏幸さん(62)。店をたたむことになったという老舗の和菓子店を改装し、2015年7月に神奈川県鎌倉市に海鮮料理屋「鎌倉 波平」をオープンさせた。
鎌倉駅と藤沢駅を結ぶ“江ノ電”こと江ノ島電鉄の腰越駅と江ノ島駅の中間地点、車窓からも見える道路沿いにその店はある。江ノ電が唯一路面電車になる区間なので、軒先を電車が走り抜ける景色が見られる。この腰越エリアはいわゆる観光地らしい観光地ではなく、比較的落ち着いた地域なので、ゆっくり街歩きをしたい人には穴場と言えるかもしれない。
テーブル席とカウンター席あわせて二十数席があり、昼間は基本的に波木井さん一人で切り盛りしている。カウンター席はいつも「予約席」になっているが、それは「常連さんが来たときに席が空いていないのは悪いから」。
月に1回は「鎌倉 波平」で飲んでいるという男性常連客は言う。「いつも『今度は何食べたい?来週の何曜日だったら能登からふぐが入るよ。猪鍋もできるよ。カニもあるからそれがいいんじゃない?』と楽しそうにメニューを考えてくれます」。客の笑顔が嬉しくて、どんどん“サービス”が出てくるのも、この店のいいところ。「『これ、朝漁師が持ってきたから食べてみてよ』なんて言われてサービスしてもらったことも何度もありました。自然と人が集まるのは波木井さんの人柄あってかな。波平のおかげで飲み仲間が増えましたよ」と笑う。
お店の名物は、飲食店を営んでいたが今は亡き母の味の「おでん」と、能登半島で使われる「いしる」で漬け込んだ「アジフライ」。そして湘南エリアの新名物として注目されている「柚子生しらす」だという。ならばと、柚子生しらすをいただくことにした。
口に入れて、最初に感じるのはぷりっぷりの食感。専ら釜揚げしらすを食べている身としては、生しらすの食感が新鮮に感じられる。生臭さもさほど感じない。1匹1匹にしっかり爽やかな柚子の味が染み込んでいるから、醤油などを付けなくても十分。白米と一緒にかきこむのもいいが、ちびちびとお酒のあてでつまむのもいい。
1 年半の研究を経て、
いつでも新鮮な生しらすが誕生
聞いて驚いたのは、この「柚子生しらす」が冷凍品だということ。しらすは別名“ドロメ”と言われるように、時間が経つとドロドロになってしまう非常にデリケートな魚らしいのだが、「鎌倉 波平」では、まず知り合いの漁師らに、上質な獲れたてしらすを漁船の上で通常の倍の氷で冷やして鮮度を保つよう依頼。そしてpH値をコントロールした特別な水と徳島県産の柚子を使用する独自の加工技術を施すことによって、柚子の味をしっかりとしらすに染み込ませ、冷凍でもまるで獲れたてのようなプリプリ感が楽しめるようになったという。
背景には、近年のしらすの不漁もあるそう。日本列島に沿って太平洋側を流れる暖流・黒潮
が“大蛇行”しているため、水温や潮の流れに変化でしらすの生育環境にも影響があったのか……せっかく湘南エリアに来ても、生しらすに出会うチャンスは残念ながら減っているらしい(ちなみに毎年1〜3月中旬は環境保全のための禁漁期間なので、そもそも獲れたて生しらすは食べられない)。波木井さんによれば、全国的にしらすの漁場が限られてしまい、茨城県に買い付け業者が殺到。キロ650円ほどで競り落とされていたしらすがキロ最大2600円、2700円にまで高騰しているという。
少しでも通年で生しらすを食べてほしいーーそんな思いから、波木井さんは加工・冷凍工程の開発に力を入れてきた。
波木井さんは「鎌倉 波平」をオープンさせる前、仲買や食品加工の仕事に従事していたそう。だからこそ加工技術の知識や他社とのつながりを生かし、先に述べた独自の加工技術を1年半かけて研究。ようやく納得のいく「柚子生しらす」を誕生させ、今ではふるさと納税の返礼品として選ばれたり、江ノ電グッズショップで販売したりと販路を着実に広げてきたわけだ。
「苦労を苦労と思ってしまうとつまらなくなっちゃうし、疲れちゃうんですよ。何のためにやっているのか。それはお客さんのためなんです。お客さんからお金をいただく以上、お客さんに喜んでほしいんです。それに尽きます」
波木井さんの半生についても
少しだけ話を聞いたのだが、
これがまた面白い。
波木井さんは横浜市保土ヶ谷区で生まれ、幼い頃から野球とゴルフをやってきて、20代はプロゴルファーを目指していたという。ただ、腰を悪くしたため、プロゴルファーへの道は諦めて、キャディに転身。そして、母親が営んでいた飲食店を手伝ったり、市場の買い付けに行ったり、食品加工の営業をしたり、時にはフルーツパーラーなどでアルバイトをしたり……いろいろな仕事を掛け持ち「ほとんど寝る暇がなくて。毎日3時間睡眠ぐらいだったよ」と振り返る。
「サラリーマンだと定年がありますよね。サラリーマンを終えた人が、この先何をやっていいか、自分はどうしたらいいのか分からないと愚痴る姿を見て、ああいうふうにはなりたくないなと思ったんです。動けるうちは仕事をしていたい。それにもともといろいろな人と接するのも、人にものを振舞うのも好きだったから、いつか自分の店を持ちたいなと思い始めたんです」
1995年に結婚し、看護師として働いてきた妻・ミチルさんが、波木井さんの夢を後押ししてくれたこともあって、「鎌倉 波平」のオープンに至った。店の味はもちろん、波木井さんの人柄もあって人気店になるわけだが、このコロナ禍で店を閉めざるを得なかった時期も。ただ、それを“苦”と思わないし、次の“仕事”を見つけてくるのが、いかにも波木井さんらしい。
「店を閉めている間にね、両親がよく旅行に行っていた新穂高温泉にふらり一人旅をしました。そこの露天風呂で仲良くなった人がね、能登のクラフトビール『日本海倶楽部』の営業さんでね。能登半島にもおいでよと誘われたので、行き来するようになって」
偶然の出会いから能登の地が気に入った波木井さんは、能登でも魚の仕入れや卸をしたり、地元の飲食業とつながったり、加工技術のコンサルティングを頼まれたりととても忙しそう。
「能登は湘南よりも質素で淋しいんですけど、海があって、山もあって、鎌倉も能登も雰囲気はどこか似ているなと思うんですよね。今はサラリーマンを2年で辞めて僕の仕事を手伝いたいと言ってきた長男に、能登でのビジネスを一部任せています。もっとたくさんの人に『おいしい』を届けたくて、最近はECに力を入れてます」
「波木井さんは仕事を本当に楽しそうにやられていますよね」と素直に気持ちを伝えると、波木井さんは「そうだね。ワクワクするようなことをやりたいじゃない。1人で頑張るのではなくて、せっかく出会った人たちと一緒に何かができたらもっと最高だなと常々思っています」と笑っていた。
名物の柚子生しらすやおでん、ソースをつけないままいただくアジフライを食べに。そして、まだまだ現役できっとますます活躍する波木井さんの話を聞きに。また「鎌倉 波平」を訪れたいと思う。
取材・文:五月女菜穂
撮影:コバヤシ
Information
名 称/鎌倉 波平
住 所/神奈川県鎌倉市腰越3-2-14
最寄り駅/腰越駅から徒歩約3分
TEL/0467-66-1431
URL/https://k-namihei.com/